top of page

​絆忘れない!


2011年( 平成23年)3月11日午後2時46分に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴って 発生した津波、およびその後の余震により引き起こされた大規模地震災害で被災された方達の、木造仮設住宅の建設に、
同年7月16日~7月27日福島県田村市船引町にて参加させて頂きました。
​自然災害から学んだ教訓を忘れてはなりません。体験してきた事を今一度ここに書きとどめたいと​思い、記します。
​                                ㈱喜多工務店 代表取締役 喜夛三男

地元の工務店さんと、被災地の職人さん及び他県の建築職人の方達と一緒に作業にあたらせて頂きました。

郡山市のホテルからR288にて車にて約40分にて現地到着、距離は22.5㎞と移動するには比較的楽なところでした。

日課は下記の通りでした。

 3:00  起床、日報・震災資料作成・被災地経路探索・作業の身支度

 5:30 入浴、仲間たちの飲料水をホテルで調達、ペットボトルに入れクーラボックスに、

 6:30  朝食後、直ちに現地へ

 7:45  朝礼

 8:00  作業開始 

10:00 小休憩 

12:00 昼食(昼食は地元の弁当屋さんの好意で一食¥380) 

15:00 小休憩 

18:30 作業終了

19:00 帰路 

20:00 ホテル着 直ちに入浴 

20:00 ホテル内のコインランドリーで衣類の洗濯 

21:00 夕食 

22:00 日報・震災資料作成・被災地経路探索 

23:00 就寝といった具合の日程でした。

木造仮設住宅建設
仲間達紹介

7月16・17と猛暑で、全員汗だくで作業をする。熱中症に注意をはらい水分補給するも追いつかなかった。 

個々の技能を把握できず、人員配置もうまくいかなかった。どうしても寄せ集め部隊の感は否めず、地元の工務店の監督

さん達は苦労された。

人員の派遣も直前にしか連絡されていないようで、全ての面での不備が目立った。作業効率も悪く、人海戦術に頼るしか

なく、精度は非常に悪いものとなり、数カ所で手直し工事が出た。

60才以上の方もかなり多く、こういった急をようする仕事には不向きな人も目立った。

地元の方達の、復旧にかける意気込みはすごく本当に必死で作業に励んでおられた姿には心を打たれました。 

被災地状況 Ⅰ

福島県に滞在中、7月22日と作業終了日の7月28日に被災地を訪れました。7月22日は福島県郡山市から相馬市・宮城県塩竃・

松島・石巻・女川を訪れました。相馬市へはAM 3:00ホテルを出発。高速を使わず走りましたが、通行止めで迂回路も見つか

らず、やむなく東北自動車道にて走行。149㎞2時間30分相馬港には9:30着 宮城県塩竃11:30 松島12:22 石巻13:18 女川14:40 16:00郡山市迄帰路 走行距離620㎞

​東北地方の地理を全く知らない私は、滞在していたホテルで、日課として仮設住宅建設作業終了後、持ち込んでいたパソコンにて、

各地域を検索、視察ルートを作っていたが、道路は寸断し迂回を余儀なくされ、目標としていた建物や道路標識は、津波によって

​消滅・破壊され予定時間は大幅な狂いが生じました。

2011年​7月22日視察ルート往路

2011年​7月22日視察ルート復路

被災地の現況は以下の通りで、全力をあげて復旧に取り組まれておりますが、進捗度はまだまだと感じました。

2011年7月22日撮影写真をご覧いただくには、下記地域ボタンをクリックして下さい。

被災地状況 Ⅱ

木造仮設住宅建設工事の作業が完了した翌日7月28日AM 0:50郡山市のホテルをチェックアウトし、宮城県南三陸町以北を視察することにし

郡山ICから東北自動車道にて冨谷JCTより仙台北部道路経由、利府JCTより三陸自動車道にて河北へ、R45は河北にて通行止め、

R197にて迂回、愛宕神社前でR64にて追分越えにてR45に出て、南三陸町へ、以後R45北上して気仙沼・陸前高田・大船渡・釜石まで365㎞  釜石着13:00 12時間走行。

視察後、直ちに京都へ帰路 15:00釜石出発 R283千人峠道路にて遠野へさらに花巻方面にて東和ICより釜石自動車道にて東北自動車道にて福島へ郡山JCTにて磐梯自動車道を走行、新潟へ、あいにく記録的な集中豪雨にみまわれるも新潟から北陸自動車道にて米原へ、名神高速にて 京都東まで1045㎞19時間 合計1409㎞31時間の超強硬スケジュールであった。 

2011年​7月28日視察ルート往路

2011年​7月28日視察ルート復路

2011年7月28日撮影写真をご覧いただくには、下記地域ボタンをクリックして下さい。

bottom of page